今日は山口県を探索中に偶然見つけた古墳の事を紹介したい。
それはあの歴史的な出来事にでくる人物のお墓だった、、
突如現れた地味な古墳
古墳とは古代の豪族や有力者、そして皇族のお墓である。しかし多くの古墳は誰の古墳かわかっていない、、その場所の豪族だろうという推測が多い。
そんな中、、その古墳を発見したのは山口県の秘湯温泉、俵山温泉に行った帰りであった。
俵山温泉近くの豊田湖の辺りの道路を走っていた時だ、、
古墳という看板、標識?が目に入ってきた。
特に観光地になっているわけでもなく地味な感じだったが、ふと気になりふとよってみた。
古墳だとは気づかないだろう。
壇ノ浦の戦いと安徳天皇
安徳天皇はあの歴史的事件に巻き込まれた悲劇的な天皇だ。源氏と平氏の源平合戦、その最終決戦、壇ノ浦の戦いだ。
源平合戦とは中世に起きた、日本を2分した内戦だ。
平安時代の末期に、平氏の強行的な政権に対する反乱がおこったのだ。
反乱は源氏を中心に行われ、源平合戦と言われた。
結果、この戦いで平家は滅亡し、鎌倉幕府が成立した。
安徳天皇はそんな時代にわずか、1歳で即位し天皇となった。父は高倉天皇の第一皇子。母は平清盛の娘の徳子。
そのため実権はなく、平清盛が実権を握っていた。
平清盛が権力を持つために利用されたとも言われている、、政治的に双方から利用されたのだろう。
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源平合戦が起き、平家が劣勢になっても平家は安徳天皇を手放さなかった。それだけ幼くとも天皇というだけで、政治的な価値があったのだ。
そして平家が追い詰められた壇ノ浦の戦いで祖母(清盛の妻)と海に入水、わずか6歳でその生涯を閉じた。
そんな大人の政治に利用され幼くして亡くなったのが安徳天皇だ。
そんな悲劇の天皇のお墓がこんなところにあったのだ。
山口県の中でも奥深い、あまり人が来るようなところではない場所だ。
今は自然の中に溶け込みひっそりと佇んでいる。
この付近を訪れた際には、安徳天皇のお墓に立ち寄ってみてはどうだろうか?