山口県で地味な古墳を発見?壇ノ浦の戦いで亡くなったあの天皇のお墓?

山口県にあった地味な古墳は壇ノ浦の戦いで亡くなったあの天皇のお墓?【c】 源平合戦 壇ノ浦の戦い 安徳天皇
古墳とは日本に残された数少ないロマンの一つだ!と誰かが言っていたようななかったような。。

今日は山口県を探索中に偶然見つけた古墳の事を紹介したい。
それはあの歴史的な出来事にでくる人物のお墓だった、、

突如現れた地味な古墳

古墳とは古代の豪族や有力者、そして皇族のお墓である。
しかし多くの古墳は誰の古墳かわかっていない、、その場所の豪族だろうという推測が多い。

そんな中、、その古墳を発見したのは山口県の秘湯温泉、俵山温泉に行った帰りであった。

山口県にあった地味な古墳は壇ノ浦の戦いで亡くなったあの天皇のお墓?【c】 源平合戦 壇ノ浦の戦い 安徳天皇
俵山温泉近くの豊田湖の辺りの道路を走っていた時だ、、

古墳という看板、標識?が目に入ってきた。
特に観光地になっているわけでもなく地味な感じだったが、ふと気になりふとよってみた。


山口県にあった地味な古墳は壇ノ浦の戦いで亡くなったあの天皇のお墓?【c】 源平合戦 壇ノ浦の戦い 安徳天皇
やはり地味だった、、ほぼ森だ、、

上から見るとこんな感じ、、森になっている。

古墳だとは気づかないだろう。

山口県にあった地味な古墳は壇ノ浦の戦いで亡くなったあの天皇のお墓?【c】 源平合戦 壇ノ浦の戦い 安徳天皇
しかしそこには宮内庁管理の看板があった。宮内庁管理??
と言うことは皇族のお墓なのか??


山口県にあった地味な古墳は壇ノ浦の戦いで亡くなったあの天皇のお墓?【c】 源平合戦 壇ノ浦の戦い 安徳天皇
そう実はこの古墳、壇ノ浦の戦いでわずか6歳で亡くなった安徳天皇のお墓であった。

壇ノ浦の戦いと安徳天皇

山口県にあった地味な古墳は壇ノ浦の戦いで亡くなったあの天皇のお墓?【c】 源平合戦 壇ノ浦の戦い 安徳天皇
安徳天皇はあの歴史的事件に巻き込まれた悲劇的な天皇だ。

源氏と平氏の源平合戦、その最終決戦、壇ノ浦の戦いだ。

山口県にあった地味な古墳は壇ノ浦の戦いで亡くなったあの天皇のお墓?【c】 源平合戦 壇ノ浦の戦い 安徳天皇
源平合戦とは中世に起きた、日本を2分した内戦だ。
平安時代の末期に、平氏の強行的な政権に対する反乱がおこったのだ。

反乱は源氏を中心に行われ、源平合戦と言われた。
結果、この戦いで平家は滅亡し、鎌倉幕府が成立した。

安徳天皇はそんな時代にわずか、1歳で即位し天皇となった。父は高倉天皇の第一皇子。母は平清盛の娘の徳子。

そのため実権はなく、平清盛が実権を握っていた。
平清盛が権力を持つために利用されたとも言われている、、政治的に双方から利用されたのだろう。

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源平合戦が起き、平家が劣勢になっても平家は安徳天皇を手放さなかった。それだけ幼くとも天皇というだけで、政治的な価値があったのだ。

山口県にあった地味な古墳は壇ノ浦の戦いで亡くなったあの天皇のお墓?【c】 源平合戦 壇ノ浦の戦い 安徳天皇
そして平家が追い詰められた壇ノ浦の戦いで祖母(清盛の妻)と海に入水、わずか6歳でその生涯を閉じた。

そんな大人の政治に利用され幼くして亡くなったのが安徳天皇だ。

そんな悲劇の天皇のお墓がこんなところにあったのだ。
山口県の中でも奥深い、あまり人が来るようなところではない場所だ。

山口県にあった地味な古墳は壇ノ浦の戦いで亡くなったあの天皇のお墓?【c】 源平合戦 壇ノ浦の戦い 安徳天皇
今は自然の中に溶け込みひっそりと佇んでいる。

この付近を訪れた際には、安徳天皇のお墓に立ち寄ってみてはどうだろうか?