その旅の一番の目的とも言ってもいいのが「軍艦島」に行く事であった!!
日本でベスト3に入る”行きたかった場所”である。
廃虚の怖さ、怪しさ、そして歴史、人々を魅了するものがそこには多くある。
さあいこう!軍艦島へ!!
廃墟になった島、軍艦島とは?
近代化とともに炭鉱として栄えた軍艦島
軍艦島はかつて炭鉱だった。正式に名称は端島と言う。長崎半島沖、西に4.5kmの場所にある周囲1,200mの小さな島だ。
江戸時代より佐賀藩により小規模な採掘がおこなわれていたが、明治になり三菱の経営となり本格的な採掘が始まった。
そして
明治日本の発展と近代化ともにこの島も栄えた。
長崎の小さな誰も向きをしなかった島が、
炭鉱の島となり、日本初の鉄筋コンクリートの高層集合住宅が建築され、日本一の人口密度の場所となった。
島は活気にあふれ、人々の声で賑わっていた。
しかし、、戦後になるとエネルギーが石炭から石油へと変わるのと同時に
人々は離れ、
1974年に閉山となり無人の島となった。
コンクリート建築が密集する廃墟の島となった。
再び忘れされるのかと思われた。
しかし、その見た目のインパクトも影響しこの島は再び注目をあびた。
そんな軍艦島へ、、
軍艦島クルーズ!!
軍艦島へは長崎港からいくつかのクルーズがある。上陸するものから周りを周回するものまで、、
料金は3,500〜4,000円程度、早く予約すれば安くなるようだ。
さあ出発だ。
1月の海の上はかなりの寒いのでお気をつけて付けて。
近付いてきたぞ!!
世界遺産にもなり一部が観光できるように整備されているのだ。
しかし崩壊の危険もある為、奥まで行けるわけではない。
無人島になってから44年、かなり風化が進み崩壊しているのだ。
大きなコンクリート片も崩壊している。
日本だけでなく世界でも最も人口密度の高い場所であった。
最盛期の昭和34年(1959年)には約5300人が島に住んでいた。
その密度は東京の9倍もの人口密度であった。
島の中には小学校、中学校、映画館、劇場、神社、スナック、パチンコ屋、遊郭まで存在していたという。
この写真の奥に見えるのが小中学校、横に見えるのが集合住宅だ。
左の丘の上に立っているのが、炭鉱の幹部社員が住んでいた集合住宅だ。
この住宅のみ3つの部屋があり、内風呂もあったという。
その他の住人は全て共同浴場だったそうだ。
人間の作ったものの凄さも感じるが、それが崩壊する自然の力の凄さも感じる。
海の風や波、台風に侵食され崩壊していったのだろう。
高層のコンクリート住宅が密集するポイントだ。
残念ながらこの奥は崩壊の危険性があるため行くことができない。
Post from RICOH THETA. #theta360 - Spherical Image - RICOH THETA
しかしこの距離でも迫力は十分だ。
コンクリートの住宅は防波堤の役割も果たしていた。
1916年には日本初の鉄筋コンクリートの高層集合住宅が建設された。
手前にみえるのがその「30号棟」だ。
鉄筋も剥き出しだ。
プールのあとが残っている。ここで泳ぎの練習をして、海に泳ぎに行ったという。
コンクリートの中に煉瓦?節約だろうか?
軍艦島のまわりを周回!!
崩壊の危険がある密集エリアは、上陸した場所とは反対に位置している。異様さと不気味さを感じさせる。
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この頂部に見える祠のようなものが、端島神社のなごりである。
長崎でつくられていた、戦艦土佐に似ていたことから軍艦島という名前がついた。
この角度が一番似ているらしい。
確かに!戦時中なら軍艦だ!と間違えることもありそうだ。
この島の地下1000mには、坑道が蟻の巣のように巡らされている。
今は世界遺産となり明治、昭和の歴史を伝える
廃墟には時の流れや儚さといったものを感じさせてくれる。かつては人の活気と子供の声であふれていたこの場所も、今は海の風が淋しく吹きぬける…
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だが廃墟としてだけではなく
明治の産業革命的の歴史を伝えるものとしても重要な遺構であるのだ。
2015年には国際記念物遺跡会議(イコモス)により「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」が世界文化遺産に登録された。
その中に軍艦島も入っているのだ。
この島は何を伝えているのだろうか?
この島から何を感じるだろうか?